飾らない笑顔で ありきたりなキスをして」——この一節から始まるKing Gnuの「MASCARA」。2024年10月4日に配信リリースされた本楽曲は、常田大希が2021年にSixTONESへ提供した「マスカラ」のセルフカバーとして大きな話題を呼びました。
オリジナル版のリリースから約3年の時を経て、King Gnuとして新たな解釈で届けられたこの楽曲。切ないアルペジオと井口理の繊細なボーカルが織りなすサウンドは、失われゆく恋の痛みと、それでも前に進もうとする人間の姿を鮮やかに描き出しています。
「満たされない想いへの葛藤を描いた切ないラブソング」と公式に表現されるこの楽曲ですが、その歌詞には常田大希ならではの哲学が深く刻まれています。今回は、この楽曲に込められたメッセージを歌詞から紐解いていきます。
アーティスト・楽曲情報
King Gnu(キングヌー)は、常田大希、井口理、新井和輝、勢喜遊による4人組ロックバンドです。2019年1月にアルバム『Sympa』でメジャーデビューを果たすと、同年「白日」の大ヒットで一躍トップアーティストの仲間入りを果たしました。「トーキョー・ニュー・ミクスチャー・スタイル」と称される彼らの音楽は、ロック、R&B、ジャズ、クラシックなど多様なジャンルを融合させた独自のサウンドが特徴です。
本楽曲「MASCARA」は、常田大希が作詞・作曲を手がけ、2021年8月にSixTONESの5thシングル表題曲として提供した「マスカラ」のセルフカバー。SixTONES側からのオファーにより実現したこの楽曲提供は、当時大きな話題となりました。そして2024年、初の映像作品『King Gnu Dome Tour THE GREATEST UNKNOWN at TOKYO DOME』の同梱CDに収録される形で、待望のKing Gnuバージョンがリリースされました。
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考察①:「凡庸なラブストーリーが丁度いい」——求めすぎた恋の代償
飾らない笑顔で
ありきたりなキスをして
凡庸なラブストーリーが丁度いい
終わりがあるのなら
始まらなきゃ良かったなんて
いじけてばかりで
楽曲の冒頭で歌われるのは、「凡庸」で「ありきたり」な恋への渇望です。一見すると後ろ向きにも聞こえるこの言葉ですが、ここには深い皮肉と自己認識が込められています。
「凡庸なラブストーリーが丁度いい」という表現は、かつて特別で刺激的な恋を求めていた主人公が、その代償として何かを失ってしまったことを暗示しています。完璧な恋、ドラマチックな関係を追い求めた結果、今や「終わりがあるのなら始まらなきゃ良かった」と後悔する日々。この冒頭部分は、物語の「結末」を先に見せることで、聴く者の心を一気に引き込みます。
「いじけてばかり」という言葉には、自分の弱さを認める素直さがあります。完璧を求めて失敗した自分を、責めるでもなく正当化するでもなく、ただ「いじけている」と認める。この等身大の姿勢こそが、この楽曲の核心への入り口となっています。
考察②:「喰らえど喰らえど味がしない」——満たされぬ日々の正体
わかりきっていた
変わりきってしまった
馴染みの景色を
喰らえど喰らえど
味がしなくなってしまった日々の
貴女の酸いも甘いも忘れたままで
「喰らえど喰らえど」という表現は、本楽曲の中で4回も繰り返される重要なフレーズです。食べても食べても満たされない——この比喩は、恋人との日常が色褪せていく様子を生々しく描いています。
「馴染みの景色」とは、かつては幸せだった二人の日常でしょう。しかしその景色は「変わりきってしまった」。興味深いのは「わかりきっていた」という言葉です。こうなることは予感していた、でも止められなかった。人間の恋愛における無力さが、この短いフレーズに凝縮されています。
「酸いも甘いも忘れたままで」という慣用句の使用も印象的です。本来「酸いも甘いも知る」とは人生経験の豊かさを表しますが、ここでは「忘れたまま」と続きます。恋人の良いところも悪いところも、すべてを受け止められなくなってしまった。感情の麻痺、あるいは関係の形骸化を、常田らしい文学的表現で描いています。
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考察③:「強くなれたならば素直になれるかな」——常田大希の哲学
強くなれたならば
素直になれるかな
見えすいた完璧なフリは
もうやめて
この楽曲の核心とも言えるフレーズです。一般的に「強さ」と「素直さ」は別の概念として捉えられますが、常田大希はここで独自の価値観を提示しています。「強い=我慢できる」「強い=感情を見せない」ではなく、「強い=素直になれる」という定義。
これは「白日」で「曖昧なサインを見落として」と歌った常田の世界観と通底しています。人間は弱いからこそ、本音を隠し、完璧なフリをしてしまう。本当に強い人間とは、自分の弱さを認め、素直に感情を表現できる人間——そんなメッセージが読み取れます。
「見えすいた完璧なフリはもうやめて」という呼びかけは、恋人へであると同時に、自分自身への言葉でもあるでしょう。互いに見栄を張り、本音を隠し続けた関係。その「フリ」をやめることが、再生への第一歩なのです。
考察④:「マスカラ剥がれたまま」——涙の後の再出発
枕を濡らした
涙が乾いたなら
出かけようか
マスカラ剥がれたまま
タイトルにもなっている「マスカラ」が登場するサビの部分です。マスカラは涙で落ちる化粧品。つまり「マスカラが剥がれる」とは、泣いて化粧が崩れた状態——感情を隠せなくなった姿を意味します。
注目すべきは「マスカラ剥がれたまま」で「出かけようか」と歌っていること。化粧を直してから、つまり完璧な自分を取り繕ってから外に出るのではありません。泣いた痕跡を残したまま、ありのままの姿で一歩を踏み出す。この決意こそが、楽曲全体のテーマである「仮面を脱ぐ」ことの象徴となっています。
「枕を濡らした涙が乾いたなら」という条件も重要です。無理に泣き止む必要はない、涙が自然に乾くまで待ってもいい。でも乾いたら、そのままの姿で前に進もう。悲しみを否定せず、でも悲しみに溺れ続けることもしない。この繊細なバランス感覚が、常田の歌詞の真骨頂です。
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考察⑤:「ドキュメンタリーが調子いい」——飾らない関係への転換
無意味な仕草さえ
切らずに垂れ流した
そんなドキュメンタリーが調子いい
情けない姿も山ほど見せたけど
悔やんでばかりいられないね
2番では、「完璧なフリ」とは対極にある「ドキュメンタリー」という言葉が登場します。ドキュメンタリーとは編集されていない、ありのままの記録。「無意味な仕草」も「切らずに垂れ流した」関係——つまり、取り繕わない、素の自分を見せ合う関係です。
「情けない姿も山ほど見せたけど」という一節には、これまでの関係への振り返りがあります。完璧を装おうとしても、結局は情けない姿をさらけ出してしまった。でも「悔やんでばかりいられない」と続けることで、その情けなさすら受け入れようとする意志が見えます。
この部分で使われる「仕合わせ」という表記も興味深いポイントです。一般的な「幸せ」ではなく「仕合わせ」——これは「巡り合わせ」「運命的な出会い」というニュアンスを含む古い表記です。二人が出会ったこと自体が一つの「仕合わせ」であり、それを大切にしようという想いが込められているのかもしれません。
考察⑥:「一筋の真っ直ぐな瞳」——痛みの中で見出す光
終わらない夢の狭間を切り裂いた
一筋の真っ直ぐな瞳
苦しいほどに胸を貫いた
Cメロで歌われるこの部分は、楽曲の中で最もドラマチックなセクションです。「終わらない夢の狭間」とは、かつて二人で見ていた理想の未来、あるいは別れを認められない宙ぶらりんの状態を指すのでしょう。
その「狭間」を「切り裂いた」のは「一筋の真っ直ぐな瞳」。これは恋人の視線かもしれませんし、自分自身が鏡で見た覚悟の目かもしれません。曖昧な関係を続けることをやめ、真正面から向き合う決意。その瞳は「苦しいほどに胸を貫いた」——痛みを伴いながらも、それが再生への転機となったことが読み取れます。
常田の歌詞には、痛みや苦しみを経て希望を見出すという構造が頻繁に現れます。この楽曲も例外ではなく、避けられない痛みを通過することでしか到達できない場所があることを示しています。
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考察⑦:「出会った二人のまま」——円環する物語の意味
悲しみの雨を
丸々飲み干したら
出かけようか
出会った二人のまま
ラストサビで繰り返される「出会った二人のまま」「あの頃の二人のまま」というフレーズ。これは単なるノスタルジーではありません。変に着飾ったり、完璧を演じたりする以前の、純粋に惹かれ合っていた頃の関係性に立ち返ろうという決意です。
「悲しみの雨を丸々飲み干したら」という表現も印象的です。悲しみから逃げるのでも、悲しみを否定するのでもなく、「丸々飲み干す」。すべてを受け入れ、消化し、そしてようやく次に進む。この姿勢は、前述の「涙が乾いたなら」とも呼応しています。
そして楽曲は、冒頭と全く同じ歌詞で締めくくられます。「飾らない笑顔で ありきたりなキスをして 凡庸なラブストーリーが丁度いい」——しかし、一度物語を経験した今、この言葉の響きは冒頭とは異なります。皮肉でも諦めでもなく、心からの願いとして聴こえるのではないでしょうか。この円環構造こそが、「再生」の物語であることの証なのです。
独自の視点:セルフカバーで生まれた新たな解釈
King Gnuバージョンの「MASCARA」について、音楽評論家からは興味深い指摘がなされています。SixTONES版が「関係がうまくいかない渦中」を描いているとすれば、King Gnu版は「別れた後に思い出す」ような歌い方になっているという見解です。
井口理の繊細で女性的とも評されるボーカル、常田の低音パートが加わることで、楽曲はより内省的で、回想的なニュアンスを帯びています。3年という時を経たセルフカバーだからこそ生まれた、新たな解釈と言えるでしょう。
また、楽曲タイトルがSixTONES版の「マスカラ」から「MASCARA」と英語表記に変更されている点も注目に値します。同じ楽曲でありながら、別の作品として提示しようとする意志が感じられます。
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まとめ
「MASCARA」は、完璧な恋を求めて傷つき、それでも前に進もうとする人間の姿を描いた楽曲です。「強くなれたならば素直になれるかな」という核心のフレーズには、常田大希ならではの哲学——弱さを認めることこそが本当の強さである——が凝縮されています。
「マスカラ剥がれたまま」で外に出る決意、「出会った二人のまま」でやり直そうとする希望、そして円環する物語構造が示す「再生」のテーマ。この楽曲は、完璧でなくても、情けなくても、それでも愛し続けようとする人々への応援歌なのかもしれません。
ぜひ、涙で化粧が崩れても構わないという気持ちで、この楽曲を聴いてみてください。あなたにとっての「凡庸なラブストーリー」が、実は一番大切なものだったと気づくきっかけになるかもしれません。
楽曲情報
- 曲名:MASCARA
- アーティスト:King Gnu
- 作詞:常田大希
- 作曲:常田大希
- リリース日:2024年10月4日(配信)
- 収録作品:『King Gnu Dome Tour THE GREATEST UNKNOWN at TOKYO DOME』同梱CD
- 備考:SixTONES「マスカラ」(2021年8月11日リリース)のセルフカバー
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