人生を「チェスボード」に見立てるという、シンプルでありながら奥深い比喩から始まるこの楽曲。Official髭男dismが第90回NHK全国学校音楽コンクール(Nコン)中学校の部の課題曲として書き下ろした「Chessboard」は、2023年8月9日に先行配信され、同年の第74回NHK紅白歌合戦でも披露されるなど大きな話題を呼びました。Billboard JAPANの「Top Download Songs」では2位を記録するなど、合唱曲の枠を超えて幅広い世代のリスナーに届いた本楽曲。単なる応援ソングでは終わらない、人生の光と影を丸ごと抱きしめるようなメッセージが歌詞の随所に散りばめられています。今回は、この楽曲に込められた想いを歌詞から丁寧に紐解いていきます。
アーティスト・楽曲情報
Official髭男dism(通称:ヒゲダン)は、2012年に島根大学の軽音楽部を中心に結成された4人組ピアノPOPバンドです。ボーカル・ピアノの藤原聡を中心に、「Pretender」「Subtitle」「I LOVE…」など数々のヒット曲を世に送り出し、ブラックミュージックをルーツとした多彩なサウンドと、藤原の卓越した歌唱力・作詞力で幅広い世代から支持を集めています。
「Chessboard」は、Nコン90回という節目の年に藤原聡が作詞・作曲を手がけた楽曲です。藤原はNHKの番組内で、中学時代の自分が反抗期の真っ只中だったことを振り返りながら、「せっかく作るなら、その時の自分に嘘をつくような曲を作りたくなかった」と制作への姿勢を語っています。さらに「上っ面の希望だけを持って欲しくないし、でも絶望して欲しいわけでもない」「僕の中のモヤっとした感覚を大切にしようと思った」とも明かしており、安易な希望でも絶望でもない、リアルな人生の手触りを大切にした楽曲であることがうかがえます。なお、メインテーマのメロディを繰り返していくという楽曲構成のアイデアは、2021年発売のアルバム『Editorial』の制作が終わる頃から存在していたとされています。
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考察①:「ルールもないまま」に放り出された僕ら——人生というゲームの始まり
チェスボードみたいなこの世界へ僕らは ルールもないままに生まれてきた
幸せと悲しみの市松模様 そのどこかで息をする
王様もいないこの盤上で僕らは どんな役を与えられたんだろうか?
行ける場所 行けない場所 目指すべき場所 知らないままで息をする
楽曲の冒頭で、この世界は「チェスボード」に例えられます。チェスには本来、厳格なルールと各駒に与えられた明確な役割がありますが、歌詞の中の「僕ら」にはルールも役割も与えられていません。この矛盾こそが、人生の本質を鮮やかに描き出しているのではないでしょうか。「幸せと悲しみの市松模様」という表現は、白と黒のマス目が交互に並ぶチェスボードの模様を、人生における喜びと悲しみの繰り返しに重ねたものです。藤原聡自身も、タイトルの由来について「白と黒のボードが人生っぽい」と語っています。行く先も目的地も分からないまま、ただ「息をする」——その不安と同時に、何者にも縛られない自由がここには共存しています。
考察②:猫じゃらしが象徴する、人生の予期せぬ温もり
不意に誰か隣に来て 風が吹けば離れ離れ
繰り返す不時着の数だけ増えるメモリー
振り返れば優しく揺れる猫じゃらし 白も黒も関係なく芽生えた
穂先で心をくすぐりながら 枯れることなく伸びている
人との出会いと別れは、風に吹かれるように不意にやってきます。「不時着」という言葉が印象的で、計画通りにはいかない人生の着地点のひとつひとつが、記憶=メモリーとして蓄積されていく様子が描かれています。そして振り返ったときに見えるのは「猫じゃらし」。猫じゃらしは道端にひっそりと生える、ごく身近な植物です。華やかでも目立つ存在でもない。しかしそれは「白も黒も関係なく」——つまり幸せか悲しみかに関わらず——芽生え、枯れることなく揺れ続けています。この猫じゃらしは、日常の中で何気なく積み重ねてきた記憶や関係性の象徴と考えられます。大きな出来事ではなくとも、心をそっと「くすぐる」ような温かい思い出が、私たちの人生には確かに存在しているのではないでしょうか。
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考察③:「地に足がつく」ことで見える景色——綿毛からの成長
チェスボードみたいなこの世界で僕らは いつしか地に足がつき始めた
行く場所 行かない場所 帰るべき場所 自分で決めて歩いていく
綿毛みたいに風に任せ 飛べた頃を羨むけど
空中からじゃ見落とすような小さな1マス そこであなたに会えたんだ
冒頭では「知らないままで息をする」と歌われていたのが、ここでは「自分で決めて歩いていく」へと変化しています。「行ける場所 行けない場所」という受動的な表現が、「行く場所 行かない場所」という能動的な意志に置き換わっているのは、成長の証と言えるでしょう。さらに「綿毛みたいに風に任せ 飛べた頃」という表現は、子ども時代の無邪気さや自由さへのノスタルジーを感じさせます。しかし、地に足をつけたからこそ気づける「小さな1マス」がある。空中を飛んでいるだけでは見落としてしまう出会い——それが「あなた」との出会いです。自由を失ったように見えて、実は地上に降り立つことで初めて手にできるものがあるという逆説が、ここには込められていると考えられます。
考察④:ナイトやクイーンになれない日のための歌
ゲームは続いてく
このフィールドで今度はどんな事が待ち受けているのだろう?
一歩づつ大切に種を蒔きながら…
大きな歩幅で ひとっ飛びのナイトやクイーン
みたいになれる日ばかりじゃない
からこそ躓いた 進めずに引き返した
そんな日にも芽生えてる あなたの足元から 足跡から
「ナイト」や「クイーン」はチェスにおいて強力な動きを持つ駒です。ナイトはL字型に飛び越えるように動き、クイーンは盤上をどの方向にも自在に進むことができます。つまり、華々しい活躍や大きな飛躍を遂げる日ばかりではないということ。しかし歌詞は、躓いた日や引き返した日にこそ「芽生えてる」ものがあると伝えます。それは「足元」から、そして「足跡」から。前に進めなかった日でも、そこに立っていたという事実そのものが何かを生み出している。この視点は、藤原が語った「上っ面の希望ではない」メッセージそのものでしょう。なお、この「クイーン」の箇所では、伝説的ロックバンドQueenの「We Will Rock You」を彷彿とさせるリズムが取り入れられていることも知られており、音楽的なオマージュとしても印象的なパートになっています。
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考察⑤:「美しい緑色」——過去のすべてを肯定する眼差し
繰り返しも迷いも後悔も旅立ちも全て
美しい緑色 こちらには見えているよ
あなたが生きた証は 時間と共に育つのでしょう
美しい緑色 役に立たない思い出も
消したいような過去も いつかきっと色付くのでしょう
この楽曲のクライマックスとも言えるパートです。「美しい緑色」という言葉は、これまでの歌詞に登場した「猫じゃらし」や「芽生えてる」「種を蒔く」といった植物のモチーフと結びつき、人生という盤上に芽吹く生命の色として集約されます。ここで注目すべきは、「こちらには見えているよ」という語りかけです。歌い手の視点が、自分自身から「あなた」を見守る存在へと転換しています。「あなた」自身には見えていないかもしれないけれど、その歩みの全てが緑色に育っている——このメッセージは、まさにNコンの課題曲として中学生に向けられたエールでありながら、すべての世代の人に響く普遍性を持っています。「役に立たない思い出」や「消したいような過去」さえも、時間が経てば「色付く」という表現は、人生の経験に無駄なものは何ひとつないという深い肯定を感じさせます。
考察⑥:「知らないままでただ息をする」——終わりなき盤上の約束
そしてチェスボードみたいなこの世界でいつか
あなたの事を見失う日が来ても
果てないこの盤上でまた出会えるかな?
その答えが待つ日まで 知らないままでただ息をする
楽曲の最後は、冒頭と呼応する形で締めくくられます。しかし、冒頭の「知らないままで息をする」と、ここでの「知らないままでただ息をする」には、決定的な違いがあります。冒頭では「行ける場所も目指すべき場所も知らない」という不安の中での呼吸でした。しかしラストでは、多くの経験を経た上で、再会の約束すら不確かなまま「ただ息をする」ことを選んでいます。それは諦めではなく、人生の不確かさをそのまま受け入れる覚悟のようなものではないでしょうか。「果てないこの盤上でまた出会えるかな?」という問いかけには、答えが出ないことを恐れず、ただ今を生きることの美しさが込められているように感じます。同じフレーズが、楽曲を通じて全く異なる重みを帯びていく構成は、藤原聡の作詞家としての巧みさを物語っています。
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独自の視点:チェスボードに芽吹く「第三の色」
「Chessboard」の世界観で特に興味深いのは、白と黒の二色で構成されるはずのチェスボードに、「緑色」という第三の色が芽生える点です。チェスは本来、白か黒か、勝ちか負けか、善か悪かという二項対立の世界。しかし藤原聡は、その盤上に植物を芽生えさせることで、二元論では割り切れない人生の豊かさを表現しています。
また、歌詞全体を通じて植物の成長過程が隠れたモチーフとして機能している点も見逃せません。「猫じゃらし」から始まり、「種を蒔く」「芽生えてる」「足元から」「育つ」「色付く」と、一連の成長の流れが歌詞の時間軸と重なっています。チェスのゲームが進行するように人生が進む一方で、盤上には静かに緑が広がっていく——この二重構造が、楽曲に独特の奥行きを与えていると言えるでしょう。
さらに、過去のヒゲダン楽曲との繋がりも感じられます。「Laughter」で描かれた「正解じゃなくていい」という姿勢や、「Subtitle」における言葉にならない想いへの眼差しは、「Chessboard」の「役に立たない思い出も消したいような過去もいつかきっと色付く」というメッセージと通底しています。
まとめ
「Chessboard」は、人生をチェスボードという明快な比喩で捉えながらも、その盤上に白黒では割り切れない「緑色」を芽吹かせることで、生きることの複雑さと美しさを同時に描き出した楽曲です。ルールも役割も分からないまま生まれ落ちた世界で、地に足をつけ、躓きながらも歩みを進めるすべての人への、押しつけがましくない静かなエールが込められています。
藤原聡が「上っ面の希望ではなく、絶望でもない」と語ったように、この楽曲は安易な答えを提示しません。しかしだからこそ、繰り返し聴くたびに心に沁みる深さがあります。あなたの足元にも、気づかないうちに「美しい緑色」が広がっているかもしれません。ぜひそんなことを思い浮かべながら、改めてこの楽曲に耳を傾けてみてください。
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楽曲情報
- 曲名:Chessboard
- アーティスト:Official髭男dism
- 作詞:藤原聡
- 作曲:藤原聡
- 編曲:Official髭男dism
- リリース日:2023年8月9日(先行配信)/ 2023年9月13日(CDシングル)
- 収録作品:6thシングル「Chessboard/日常」、3rdアルバム『Rejoice』
- タイアップ:第90回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲 / NHK「みんなのうた」2023年8月・9月