「遠くで小さく咳をしてる君の音声を受信して」——何気ない日常の一コマから始まるこの楽曲は、聴く者の心にじわりと染み入る不思議な引力を持っています。
「濁点」は、Official髭男dismのメジャー3rdアルバム『Rejoice』に収録されたアルバム曲として、2024年7月24日に配信リリースされました。シングルカットされたタイアップ曲とは異なる自由な作風が光る本楽曲は、アルバムの中でもひときわ独特の存在感を放ち、多くのリスナーの心を掴んでいます。
前奏なしで藤原聡の澄んだ歌声がいきなり飛び込んでくるサウンドは新鮮で、聴き進めるほどに歌詞の奥深さに引き込まれていきます。今回は、この「濁点」に込められたメッセージを歌詞から紐解いていきます。
アーティスト・楽曲情報
Official髭男dism(通称:ヒゲダン)は、藤原聡(Vo/Pf)、小笹大輔(Gt)、楢﨑誠(B/Sax)、松浦匡希(Dr)の4人からなるバンドです。2012年に島根大学で結成され、2018年にポニーキャニオンよりメジャーデビュー。「Pretender」「Subtitle」「ミックスナッツ」など数々のヒット曲を生み出し、日本を代表するバンドとして不動の地位を築いています。卓越したメロディセンスと、藤原聡による内省的かつ鋭い歌詞が大きな魅力です。
「濁点」が収録されたアルバム『Rejoice』は、前作『Editorial』から約3年ぶりとなるフルアルバムで、Billboard JAPANダウンロードアルバムチャートで3週連続首位を獲得しました。藤原はアルバム制作について「面白い、ハッピーなアルバムにしよう」という共通認識があったと語っており、直感的に音楽を楽しむ姿勢が反映された作品です。「濁点」は本アルバムの9曲目に収録されており、シングル曲とは異なるアルバム曲ならではの実験的な作風が感じられます。本楽曲に関するアーティストの詳細なコメントは広く公開されていませんが、Spotifyの「Liner Voice+」ではメンバーが楽曲について語っている音声も存在します。
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考察①:「遠くで小さく咳をしてる君の音声を受信して」——電話越しの恋の始まり
遠くで小さく咳をしてる君の音声を受信して
1人でほくそ笑んでいる 世にも奇妙な出で立ちで
変態的 そう言って自虐に走っても誰にも見えない
冒頭から、この楽曲の舞台が「電話」であることが鮮やかに描かれます。「音声を受信して」という表現は、通話中であることを示しつつも、まるで電波を受信するアンテナのように相手の存在をキャッチしている語り手の姿を浮かび上がらせます。
注目すべきは、相手の「咳」という何気ない生理現象に喜びを見出しているという点です。好きな相手のどんな些細な音にも愛おしさを感じてしまう——その自覚があるからこそ「世にも奇妙な出で立ちで」と自らを客観視し、「変態的」と自虐するのでしょう。しかし「誰にも見えない」と続くことで、この恋心が一人だけの秘密であることが強調されます。恋の初期衝動にある、他者には見せられない「生の感情」がリアルに表現されていると考えられます。
考察②:妄想の加速——「部屋の間取り 服の色味 香りまでもイメージして」
部屋の間取り 服の色味 香りまでもイメージして
自分のヤバさに一抹の恐怖さえ感じてる
驚異的 そう言って差し支えない程の頭の回転の速さ
電話の声だけを頼りに、語り手の想像はどんどん膨らんでいきます。部屋の間取り、服の色味、そして香りまでも。五感のうち聴覚しか機能していないはずの電話越しで、視覚・嗅覚まで動員してしまう想像力の暴走が描かれています。
「自分のヤバさに一抹の恐怖さえ感じてる」という一節には、自分の感情の強さに自ら戸惑う姿があります。しかしそれを「驚異的」と言い換えるユーモアが藤原聡らしさではないでしょうか。「変態的」「驚異的」と「○○的」で韻を踏む構成は、自虐と自負が混在する複雑な心理を軽やかに表現しています。恋に落ちたときの、自分自身を制御できない感覚を、多くの人が共感できるのではないでしょうか。
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考察③:「擦っても綺麗じゃない生き物」——人間の”濁り”を肯定する
仕方ないさ 擦ってもちっとも綺麗じゃない生き物だから
悪いなぁ 甘ったるい感覚だけを貪り食っていた
目を背けようが 変わらない既成事実
無駄じゃない とも言い切れない
積み上がる履歴を前に
サビでは、楽曲の核心とも言えるメッセージが展開されます。「擦ってもちっとも綺麗じゃない生き物」という表現は、人間という存在の根源的な「濁り」を指しているのではないでしょうか。どれだけ取り繕っても、欲望や執着を完全に消すことはできない——そんな人間の本質を、開き直りとも諦めともつかない口調で歌い上げています。
「甘ったるい感覚だけを貪り食っていた」は、恋の甘美さに溺れていた自覚を示し、「既成事実」と「積み上がる履歴」は通話履歴の山を連想させます。「無駄じゃない とも言い切れない」という微妙な表現が秀逸で、この時間が有意義だったと言い切れない後ろめたさ、それでもやめられない人間の弱さが凝縮されています。
考察④:氷が水に変わる——長電話が生む親密な時間
トールサイズじゃ足りなくなっている 腹と心はリンクした
氷が水に変わっている それさえも愛おしく
非生産的 そう言って差し支えない エナジーの使い方 寝不足だ
2番に入ると、長電話の時間経過が巧みに描写されます。「トールサイズ」はカフェのドリンクサイズを指し、深夜の通話のお供であるコーヒーがもう足りないほど長い時間が過ぎていることを暗示しています。「腹と心はリンクした」という表現は、空腹という身体的な欲求と、相手ともっと話していたいという心の渇望が重なり合う様子を示しているのではないでしょうか。
特に秀逸なのが「氷が水に変わっている それさえも愛おしく」というフレーズです。飲み物の氷が完全に溶けてしまうほどの時間が経過している——その事実すら愛おしいと感じてしまう。ここでも「非生産的」という「○○的」パターンが繰り返され、自分の行為が非生産的だと自覚しながらも止められない姿が描かれています。「寝不足だ」という短い一言が、恋に落ちた人間のリアルな日常を映し出しています。
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考察⑤:「先に切って」——終わらせたくない二人の攻防
「先に切って」厄介事を押し付け合うかのようにして
長引いた この浮かれた時間の果てに待つものが
悲劇でもいいと そう強がって見せる
裏腹にもう描いてた 無根拠のネバーエンディングストーリー
「先に切って」——電話を先に切ることを相手に委ねるこの一言は、長電話の経験がある人なら思わず頷いてしまう表現ではないでしょうか。電話を切ることを「厄介事」に例えるユーモアの中に、別れがたい切実さが潜んでいます。
さらに深い考察を促すのが「この浮かれた時間の果てに待つものが悲劇でもいいと」という一節です。この恋が実るかどうかは分からない、むしろ悲しい結末が待っているかもしれない——それでも構わないと強がる。しかし「裏腹にもう描いてた 無根拠のネバーエンディングストーリー」が続くことで、本心ではこの関係が永遠に続くことを夢見ていることが明かされます。「無根拠」という言葉が切なく、根拠などなくても信じたい恋の愚かさと美しさが凝縮されています。
考察⑥:「時間を溶かして濁す声」——タイトル”濁点”の真意
苦しみもない 苛立ちもない 愚かな人間以外にない
まともではないけど狂っちゃない 現実などもう見えるはずない
苦しみもない 苛立ちもない 愚かな人間以外にない
まともではないけど狂っちゃない
時間を溶かして濁す声
楽曲のクライマックスで、畳みかけるように繰り返されるフレーズが圧巻です。「苦しみもない 苛立ちもない 愚かな人間以外にない」——この恋の中には苦しみも苛立ちもなく、ただ愚かな人間がいるだけだという達観にも似た境地が歌われます。
「まともではないけど狂っちゃない」というフレーズは、恋の狂気と正気の境界線を絶妙に表現しています。完全に狂ってはいないけれど、まともでもない——その曖昧な領域こそが恋のリアルな姿なのかもしれません。
そして最後の「時間を溶かして濁す声」で、タイトル「濁点」の意味が回収されます。長い時間をかけて電話で話し続けた結果、声がかすれて「濁る」。清音に濁点がつくと濁音になるように、純粋だった時間や関係が、恋愛感情という「濁点」によって変質していく。しかしその「濁り」こそが人間らしさであり、決して否定されるべきものではないと、この楽曲は語りかけているのではないでしょうか。
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独自の視点:「○○的」の反復構造と”濁点”の言葉遊び
本楽曲を通して特徴的なのが、「変態的」「驚異的」「非生産的」という「○○的」の反復です。これらはすべて語り手の行動に対する自己評価ですが、客観的でやや冷めた言い方をしながらも、その行為を結局やめられないという矛盾が生まれています。
また、タイトル「濁点」には複数の意味が重なっていると考えられます。第一に、長電話で声が「濁る」という物理的な現象。第二に、清らかだった感情や関係が恋によって「濁る」という変化。第三に、日本語において濁点は文字の性質を変える記号であり、恋がひとりの人間の在り方を変えてしまうメタファーとして機能しています。藤原聡ならではの言語感覚が冴え渡る、巧みなタイトルと言えるでしょう。
まとめ
「濁点」は、深夜の長電話を通して恋に溺れていく人間の姿を、自虐とユーモアと切なさを交えて描いた楽曲です。「擦っても綺麗じゃない生き物」という人間の本質を見つめながらも、その濁りを否定するのではなく、どこか愛おしく思える——そんな温かさがこの楽曲にはあります。
アルバム『Rejoice』の中でも特に内省的で実験的な本楽曲は、シングル曲のキャッチーさとはまた違った角度からOfficial髭男dismの魅力を教えてくれます。「非生産的」な時間の中にこそ、人間のかけがえのない感情が宿っていることを、藤原聡の言葉は静かに、しかし力強く伝えています。
ぜひ深夜の静かな時間に、誰かの声を思い浮かべながら聴いてみてください。あなたにとっての「濁点」は、どんな意味を持つでしょうか。
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楽曲情報
- 曲名:濁点
- アーティスト:Official髭男dism
- 作詞:藤原聡
- 作曲:藤原聡
- 編曲:Official髭男dism
- リリース日:2024年7月24日(配信)/ 2024年7月31日(CD)
- 収録作品:メジャー3rdアルバム『Rejoice』