「いまさら本音がどうとか 聞きたくないよ」——冒頭からまっすぐに感情をぶつけるこの一節が印象的なSaucy Dogの「馬鹿みたい。」。2024年8月2日にサプライズ配信リリースされた本楽曲は、ABEMAの恋愛リアリティーショー『キミとオオカミくんには騙されない』の主題歌として書き下ろされました。リリース直後から10代を中心に大きな反響を呼び、MVの再生回数も着実に伸び続けています。曖昧な関係に振り回されながらも、どこかで期待してしまう”あたし”の心情をリアルに描いた本楽曲。今回は、この歌詞に込められたメッセージを丁寧に紐解いていきます。
アーティスト・楽曲情報
Saucy Dog(サウシードッグ)は、2013年に大阪で結成された3ピースロックバンドです。メンバーは石原慎也(Vo/Gt)、秋澤和貴(Ba)、せとゆいか(Dr/Cho)の3人。2016年にMASH A&Rのオーディションでグランプリを受賞し、以降「いつか」「シンデレラボーイ」といった楽曲で幅広い世代から支持を集めてきました。石原慎也の繊細でエモーショナルなハイトーンボイスと、実体験に根差したリアルな恋愛描写が最大の魅力です。2022年にはNHK紅白歌合戦にも初出場を果たしています。
「馬鹿みたい。」は、ABEMA『キミとオオカミくんには騙されない』のために書き下ろされた楽曲です。ボーカルの石原慎也は本楽曲について「刺激的な恋愛はあまり経験がなかったですし、女子高生の目線で曲を書いた事がなかったので、歌詞に関してはかなり難しかった」と語っており、「その場しのぎで曖昧なキミ。それに気づいている私。離れたい。でも離れたくない。そんなもどかしい気持ちとふたりの駆け引きを描いてみました」とコメントしています。制作面では、2番のAメロ部分にもともと別の楽曲用に作っていたメロディを組み合わせたことも明かされており、サプライズリリースならではの意欲的な制作過程が垣間見えます。本楽曲はその後、2024年12月18日発売の8thミニアルバム『ニューゲート』にも収録されました。
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考察①:「聞きたくないよ」——冒頭で突きつけられる”あたし”の怒り
いまさら本音がどうとか
聞きたくないよ
どうせなら墓場まで
隠してみせてよ
楽曲の幕開けは、相手への苛立ちをストレートにぶつける場面です。「いまさら本音がどうとか」という言葉からは、これまで本心を見せてこなかった相手が、今になって中途半端に本音を漏らし始めたことへの怒りが読み取れます。「どうせなら墓場まで隠してみせてよ」という強烈なフレーズには、「隠すなら最後まで徹底してほしい」という諦めにも似た要求が込められているのではないでしょうか。注目すべきは、この語り手が最初から相手の「嘘」や「曖昧さ」に気づいている点です。騙されているのではなく、気づいていながらその関係に留まっている。その自覚があるからこそ、中途半端な優しさがかえってしんどいのだと考えられます。
考察②:「気づかないふりしてあげてんだよ」——優しさという名の防衛線
上手くやれないんなら
半端な優しさも
しんどいわ
気づかないふりしてあげてんだよ
続くこのパートでは、”あたし”の複雑な立場がより鮮明になります。「気づかないふりしてあげてんだよ」という一文は、この楽曲の核心とも言える重要なフレーズです。相手の不誠実さに気づいていながら、あえて見て見ぬふりをしている——それは優しさのようでいて、実は自分自身を守るための防衛線でもあるのではないでしょうか。気づいてしまったら、この関係を終わらせなければならない。だから気づかないふりをする。しかし「半端な優しさもしんどいわ」という言葉が示すように、相手の曖昧な態度はその防衛線すら揺るがしてしまいます。石原慎也が語った「その場しのぎで曖昧なキミ。それに気づいている私」というコメントが、まさにこの構図を象徴していると言えるでしょう。
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考察③:季節の変わり目に滲む本音——言葉にできないもどかしさ
季節の変わり目に喉がカサついて
上手く言葉にできないや
意味もなく悲しい顔をみせたい
困らせてみたい
自分だけじゃイヤ
このパートでは、”あたし”の内面が繊細に描写されています。「季節の変わり目に喉がカサついて」という表現は、単なる体調の描写ではなく、心情の比喩として機能しているのではないでしょうか。季節が変わるように関係性も変化していく中で、伝えたい気持ちが喉元で詰まってしまう感覚。「上手く言葉にできないや」という素直な吐露が、若い恋愛特有のもどかしさを見事に表現しています。さらに「意味もなく悲しい顔をみせたい」「困らせてみたい」という衝動は、言葉にできない分、態度で相手の反応を引き出そうとする切実な願いです。「自分だけじゃイヤ」という一言には、自分だけが苦しんでいるこの状況を相手にも共有してほしいという、恋愛における対等さへの渇望が込められていると考えられます。
考察④:「化けの皮剥ぎ取ってあげる」——攻めの姿勢に隠された期待
ほらキミの化けの皮剥ぎ取ってあげる
怖がらないでね
あたしだけにそっと秘密教えてよ
どこか期待しているの
馬鹿みたい
ここは楽曲の核心部分であり、タイトル「馬鹿みたい」が初めて登場するパートです。「化けの皮剥ぎ取ってあげる」は一見攻撃的な表現ですが、直後に「怖がらないでね」と添えられることで、そのトーンは一変します。本当の姿を見せてほしい、嘘をつかなくていい——そんな切なる願いが込められた言葉なのではないでしょうか。「あたしだけにそっと秘密教えてよ」という囁くようなフレーズは、特別な存在でありたいという想いの表れです。そして「どこか期待しているの 馬鹿みたい」という結びが秀逸です。曖昧な相手に期待してしまう自分自身を「馬鹿みたい」と突き放す。この自己批判は、恋愛において頭では分かっているのに心がついていかない、誰もが経験しうる感情を鋭く捉えています。タイアップ作品『キミとオオカミくんには騙されない』の「嘘つきオオカミくん」を見抜こうとするテーマとも見事にリンクしているのではないでしょうか。
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考察⑤:「会う気ないなぁ?」——2番で変わる距離感と本音の漏出
「またね、会えたら会おうよ」
って歩き出した君に
“もう、会う気ないなぁ?”
ついつい本音が飛び出しそうだ
まるでこの恋愛自体
なんか人違いみたい?
2番のAメロでは、ふたりの関係がより具体的な場面として描かれます。「またね、会えたら会おうよ」という社交辞令的なフレーズに対して、”あたし”は「もう、会う気ないなぁ?」という本音を飲み込みます。興味深いのは、石原慎也がこの2番のAメロ部分について、もともと別の楽曲用に書いていたメロディを組み合わせたと明かしている点です。異なる楽曲のパーツを融合させたという制作過程が、まるで「この恋愛自体 なんか人違いみたい?」という歌詞のテーマ——ふたりの間にある微妙なズレの感覚——と呼応しているようにも感じられます。「人違い」という表現は、相手が自分の想像していた人とは違ったという気づきであると同時に、もしかしたら自分自身も相手にとって「違う誰か」なのかもしれないという不安をも暗示しているのではないでしょうか。
考察⑥:「生まれ変わっても」——終わらない想いと自嘲の”馬鹿みたい”
生まれ変わってもまた
ふたりは出会ってしまうなら
この気持ちはいつまで経っても終わらないかな
君への想いも後少し
もうどっか行ってしまうけど
どこか期待していたのが
馬鹿みたい
2番のサビでは、”あたし”の感情がもっとも深い場所にまで到達します。「生まれ変わってもまた出会ってしまうなら」という壮大な仮定は、この恋が単なる一時的な感情ではなく、逃れられない運命のように感じられていることを示しています。しかし同時に「君への想いも後少し もうどっか行ってしまうけど」と、その想いが消えていく予感も語られます。この矛盾——永遠を想像しながらも終わりを自覚している——こそが、この楽曲のもっともリアルな部分ではないでしょうか。そして再び「どこか期待していたのが 馬鹿みたい」と自分を嗤う。1番では「期待しているの」と現在進行形だったのが、2番では「期待していたのが」と過去形に変わっている点が重要です。期待は少しずつ、でも確実に薄れていく。その微妙な心の移ろいが時制の変化に表れていると言えるでしょう。
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考察⑦:「どっちでも良いよ」——曖昧さの象徴としての日常会話
「どっちでも良いよ」
「あったら食べるよ」
優しいつもり?
そういうところが嫌い
終盤のこのパートは、楽曲の中でもっとも生活感のある描写です。「どっちでも良いよ」「あったら食べるよ」——これらはカップルの日常会話としてありふれた言葉ですが、”あたし”にとっては相手の曖昧さの象徴として響いています。一見優しそうに見えて、実はどこにもコミットしていない。自分の意思を持たない、あるいは持とうとしない相手への苛立ちが「優しいつもり? そういうところが嫌い」という鋭い一撃に凝縮されています。この場面が楽曲の中で特に印象的なのは、恋愛における「大きな裏切り」ではなく「小さな無関心」こそが人の心を削っていくという現実を、日常の何気ないやり取りを通じて表現している点です。多くのリスナーが「自分のことを歌われているみたい」と感じた理由は、こうした身近な描写にあるのではないでしょうか。
考察⑧:ラストに訪れる解放——「もう好きでもないから」の真意
会いたいじゃないなら会いたくないよこれ以上
黙らせてみたい
自分だけじゃイヤ
ほらキミの化けの皮剥ぎ取ってあげる
もう好きでもないから
あたしについた嘘も全部可愛く思える
楽曲のラストは、”あたし”の感情がひとつの決着を迎える瞬間です。「会いたいじゃないなら会いたくないよこれ以上」という力強い宣言は、曖昧な関係に自ら終止符を打とうとする意志の表れと言えます。そして最終行「もう好きでもないから あたしについた嘘も全部可愛く思える」は、この楽曲の中でもっとも複雑で味わい深いフレーズです。好きではなくなったからこそ、嘘さえも許せる——これは本当に「好きでもない」のでしょうか。嘘を「可愛く思える」と表現できるのは、完全に冷めた人間ではなく、むしろ深い愛情を経たからこそ到達できる境地なのではないでしょうか。あるいは、「もう好きでもない」と自分に言い聞かせることで、ようやくこの苦しい恋から自分を解放しようとしているのかもしれません。いずれにしても、最後まで一筋縄ではいかない”あたし”の感情が、この楽曲を単なる失恋ソング以上のものにしていると感じます。
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独自の視点:人称と表記に込められた距離感の演出
この楽曲で注目すべきポイントのひとつが、相手を指す表記の揺れです。歌詞の中で相手は「キミ」(カタカナ)と「君」(漢字)の二つの表記で登場します。「ほらキミの化けの皮剥ぎ取ってあげる」のように距離を詰めて挑発する場面ではカタカナの「キミ」が、「君の気持ちが聞きたい」のように素直な心情を吐露する場面では漢字の「君」が使い分けられているようにも読めます。これは意識的な演出であるかどうかは不明ですが、”あたし”の中にある二面性——強がりと本音——が表記の違いに現れている可能性は興味深いものがあります。また、語り手が「私」ではなく「あたし」を使っている点も見逃せません。石原慎也が「女子高生の目線で書いた」と語っている通り、この柔らかく砕けた一人称が楽曲全体に若さと親しみやすさを与えています。さらに、タイアップ番組『キミとオオカミくんには騙されない』では、恋をしているフリをする「嘘つきオオカミくん」が紛れ込んでいるという設定がありますが、楽曲における「化けの皮を剥ぐ」というモチーフは、まさにその番組コンセプトと巧みにリンクしています。
まとめ
「馬鹿みたい。」は、曖昧な関係に振り回されながらも、どこかで相手を信じたい、特別でありたいと願う”あたし”の複雑な感情を、生々しいリアリティをもって描いた楽曲です。石原慎也がこれまで得意としてきた男性目線の恋愛描写とは一線を画し、女子高生という新たな視点に挑戦した意欲作でもあります。
冒頭の怒りから始まり、もどかしさ、期待、自嘲、そして最後に訪れる一種の諦めと解放。「馬鹿みたい」という自嘲の言葉は、恋愛の中で理性と感情の間に揺れ動く人間の姿そのものを映し出しているのではないでしょうか。
「どっちでも良いよ」「あったら食べるよ」——何気ない日常の言葉が、恋愛における最大の痛みになりうること。この楽曲は、そんな誰にでも心当たりのある感覚を見事に音楽として結晶させています。ぜひ、自分自身の恋愛の記憶を重ねながら聴いてみてください。きっと、新たな発見があるはずです。
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楽曲情報
- 曲名:馬鹿みたい。
- アーティスト:Saucy Dog
- 作詞:石原慎也
- 作曲:Saucy Dog
- リリース日:2024年8月2日(配信)
- 収録作品:8th Mini Album『ニューゲート』(2024年12月18日発売)
- タイアップ:ABEMA『キミとオオカミくんには騙されない』主題歌