LENS FLARE

LENS FLARE

米津玄師米津玄師
作詞:米津玄師 作曲:米津玄師
歌詞考察2026.01.30

LENS FLARE【米津玄師】歌詞の意味を考察!"スーパースター"の虚像と実像——「本当の自分」はどこにいる?

「ありのままじゃ生きられなくってさ」——この痛切な一行から始まる「LENS FLARE」。2024年8月21日にリリースされた米津玄師の6thアルバム『LOST CORNER』に収録されたこの楽曲は、注目を浴びる者の孤独と葛藤を、鋭くも繊細に描き出しています。

本楽曲は、2023年のツアー「空想」でアンコール曲として初披露され、多くのファンがCD音源化を待ち望んでいた一曲です。当時は「PERFECT BLUE」というタイトルで演奏されており、今敏監督の同名アニメ映画から着想を得たことが、後のインタビューで明かされています。

激しいビートと切迫感のあるメロディに乗せて歌われるのは、「愛されたい」と「消えてしまいたい」という相反する感情。SNS時代における「推し文化」への鋭い視線も感じさせる本楽曲は、米津玄師自身の経験が色濃く反映された、極めてパーソナルな作品と言えるでしょう。

今回は、この「LENS FLARE」に込められたメッセージを、歌詞から丁寧に紐解いていきます。

アーティスト・楽曲情報

米津玄師は1991年生まれ、徳島県出身のシンガーソングライターです。2009年より「ハチ」名義でニコニコ動画にボカロ楽曲を投稿し、「マトリョシカ」「パンダヒーロー」などで圧倒的な支持を獲得。2012年に本名での活動を開始し、2018年の「Lemon」で国民的アーティストへと飛躍しました。作詞・作曲・編曲からイラスト・映像制作までを手がけるマルチクリエイターとして、日本の音楽シーンを牽引し続けています。

本楽曲について、米津玄師は音楽ナタリーのインタビューで次のように語っています。「今敏さんのアニメ映画『PERFECT BLUE』から着想を得て作った曲です」「20代のうちは『なんでわかってくんないんだよ』みたいな気持ちがものすごく強かったし、それに対する苛立ちだとか、煮え切らなさみたいなものが常にあった」。さらに「興隆している”推し文化”は非常にグロテスクだなと思う部分もある」とも述べており、本楽曲には現代社会への鋭い批評眼が込められていることがわかります。

映画『PERFECT BLUE』(1997年)は、アイドルから女優へ転身した主人公が、ストーカー被害や周囲からの期待に追い詰められ、次第に「現実と虚構」の区別がつかなくなっていくサイコホラー作品です。「本当の自分は誰なのか」というアイデンティティの危機を描いたこの映画のテーマは、「LENS FLARE」の歌詞と深く共鳴しています。

考察①:「ありのままじゃ生きられなくってさ」——スターの孤独

ありのままじゃ生きられなくってさ 肌身着飾るスーパースター
何もかもにイラついてしまうから 傷つけ合うように歌を歌ったのさ

冒頭から突きつけられるのは、「ありのまま」では生きられないという苦しみです。「スーパースター」という言葉は一見華やかですが、ここでは重荷として描かれています。「肌身着飾る」という表現が示すのは、本来の自分を覆い隠す仮面——つまりペルソナの存在です。

注目すべきは「傷つけ合うように歌を歌った」という一節。これは単に攻撃的な表現というだけでなく、「傷つけ合う」という相互性が含まれています。歌を通じて他者を傷つけると同時に、自らも傷ついている。その痛みの中でしか表現できなかった時期があったことを、この歌詞は告白しているのではないでしょうか。

米津玄師自身、ボカロPとして匿名で活動していた時期から、顔出しのアーティストへと転身した経験を持ちます。その過程で、否応なく「見られる存在」となり、様々な期待や批判にさらされてきたはずです。この冒頭部分には、そうした経験が色濃く反映されているように感じられます。

考察②:「カットワン、カットトゥー」——映画的手法が示す分裂

カットワン あなたは誰 あなたは誰
カットトゥー わたしを見て わたしを見て

「カットワン」「カットトゥー」という映画の撮影現場で使われる掛け声が、この楽曲に独特のリズムと緊張感を与えています。これは単なる演出上の工夫ではなく、本楽曲が映画『PERFECT BLUE』から着想を得ていることを示す重要な伏線でもあります。

ここで印象的なのは、「あなたは誰」と「わたしを見て」という二つの問いかけが、別々の「カット」として提示されていることです。「あなた」と「わたし」——これは二人の人物ではなく、一人の人間の中にある「虚像」と「実像」を指していると考えられます。

「あなたは誰」は、スターとして祀り上げられた自分への問いかけ。周囲が勝手に作り上げたイメージ、期待、幻想——それは本当に「自分」なのか。一方、「わたしを見て」は、その虚像の影に隠れてしまった「本当の自分」からの切実な叫びです。

考察③:「薄い氷の上で踊ってさ」——危うい均衡の上に立つ者

薄い氷の上で踊ってさ 煌びやかなLED
それがあなたと誰もが言うから 何もかもにイラついてしまうのさ

「薄氷を履む」という慣用句がありますが、この歌詞ではさらに踏み込んで「薄い氷の上で踊る」と表現されています。いつ割れてもおかしくない危うい足場の上で、それでもパフォーマンスを続けなければならない——その緊張感と不安定さが伝わってきます。

「煌びやかなLED」は、スポットライトを浴びるスターの姿を象徴しています。しかし、LEDの光は人工的で冷たいもの。太陽の光のような温かみはなく、どこか無機質な輝きです。そして重要なのは、「それがあなた」と「誰もが言う」という部分。周囲の人々が勝手に定義する「あなた」像——それは本人の意思とは関係なく、外側から押し付けられたものです。

「何もかもにイラついてしまう」という感情は、この状況への正当な反応と言えるでしょう。自分が自分を定義できない、他者によって勝手にイメージが作られていく——その理不尽さへの怒りが、ここには滲んでいます。

考察④:「夢みたい」——現実と虚構の境界線上で

夢みたい そんな目で見んなうざい
もっと愛されていたい ここで消えてしまいたい
お前が勝手に選んだ舞台
歓声が鳴り息を吸う

「夢みたい」という言葉の後に続く「そんな目で見んなうざい」という拒絶。これは、憧れや称賛の眼差しを向けられることへの複雑な感情を表しています。「夢のような存在」として見られることは、一見光栄なことのようでいて、実は「人間として見てもらえていない」という疎外感を伴うものです。

そして「もっと愛されていたい」と「ここで消えてしまいたい」という、完全に矛盾する二つの欲求が並置されます。承認欲求と自己消滅願望——この相反する感情が同時に存在することこそが、注目を浴びる者の内面のリアルなのでしょう。

「お前が勝手に選んだ舞台」という一節は、自分自身への厳しい言葉です。誰に強制されたわけでもない、自分で選んだ道。だからこそ逃げられない、だからこそ苦しい。その自覚が、この言葉には込められています。

考察⑤:「裸足で駆けた子供の頃」——失われた純粋さへの眼差し

裸足で駆けた子供の頃は 優しくあれたスーパースター
それがどうだ眩しくてざまあねえな もう一度問い返してみろや

2番で登場する「子供の頃」の描写は、1番とは対照的な柔らかさを持っています。「裸足で駆けた」——何の防備も、仮面もなく、ただ純粋に走り回っていた時代。その頃の自分は「優しくあれた」のだと。

ここでも「スーパースター」という言葉が使われていますが、ニュアンスは全く異なります。子供の頃の「スーパースター」は、自分の世界の主人公として無邪気に輝いていた姿。対して現在は、他者の視線によって「スーパースター」という役割を押し付けられている状態です。

「それがどうだ眩しくてざまあねえな」という自嘲的な言葉は、かつての純粋な自分から見た現在の自分への評価とも読めます。光を浴びすぎて、本当の姿が見えなくなってしまった——タイトルの「LENS FLARE(レンズフレア)」が意味するのは、まさにこの状態ではないでしょうか。

考察⑥:「そこにいたのをいつも見てたよ」——もう一人の自分からの許し

夢みたい そうこれは夢で見たい
ずっと笑顔で生きたい キレたい 愛されたい
お前が何よりもただ必死で
そこにいたのをいつも見てたよ

楽曲の最後に置かれたこのパートは、それまでの葛藤や苦悩とは異なるトーンを持っています。「笑顔で生きたい」「キレたい」「愛されたい」——矛盾した感情の羅列は続きますが、最後の二行で大きな転換が訪れます。

「お前が何よりもただ必死で/そこにいたのをいつも見てたよ」——これは、分裂していた「あなた」と「わたし」が、ようやく一つになる瞬間のように感じられます。虚像であれ実像であれ、その場所で必死に生きてきたことを、もう一人の自分が認め、見守っていた。

この「見てたよ」という過去形の言い回しには、ある種の距離感と客観性があります。嵐の中にいる最中ではなく、少し離れた場所から振り返っているような視点。米津玄師がインタビューで語った「今はある程度そういうふうに分けて捉えられるようになった」という言葉と重なります。

「LENS FLARE」というタイトルに込められた意味

レンズフレアとは、カメラで撮影する際に強い光がレンズに当たることで、画像が白っぽくぼやけたり、本来の像がはっきり見えなくなる現象です。このタイトルには、スポットライトを浴びすぎることで「本当の自分」が見えなくなってしまうというメタファーが込められていると考えられます。

また、レンズフレアは写真や映像の「欠陥」とされる一方で、意図的に使えばドラマチックな演出効果を生み出すこともできます。虚像と実像の混乱は確かに苦しいものですが、それを表現として昇華させることで新たな美が生まれる——そんな両義性も、このタイトルには含まれているのかもしれません。

元々「PERFECT BLUE」というタイトルだったこの楽曲が、なぜ「LENS FLARE」に変更されたのか。映画タイトルそのままでは直接的すぎると判断されたのか、あるいはより抽象的で普遍的な表現を求めた結果なのか。いずれにせよ、「光を浴びることで見えなくなるもの」という主題は、どちらのタイトルにも通底しています。

まとめ

「LENS FLARE」は、注目を浴びる者が抱える普遍的な苦悩を、米津玄師という一人のアーティストの視点から描いた楽曲です。「実像と虚像」「本当の自分と他者から見た自分」——その狭間で揺れ動く感情を、鋭い言葉と激しいサウンドで表現しています。

しかしこの楽曲は、単なる苦悩の吐露では終わりません。最後の「そこにいたのをいつも見てたよ」という一節には、必死に生きてきた自分自身への静かな肯定が感じられます。矛盾だらけで、傷だらけで、それでも舞台に立ち続けた「お前」を、もう一人の自分がずっと見守っていた——その気づきこそが、この楽曲の救いなのではないでしょうか。

SNS時代において、私たちは誰もが「見る側」であると同時に「見られる側」でもあります。他者からのイメージと自己認識のズレに苦しんだ経験は、多くの人にとって身近なものでしょう。「LENS FLARE」は、トップアーティストの告白でありながら、現代を生きる全ての人に響く普遍性を持った楽曲です。

ぜひ、歌詞の一言一言に耳を傾けながら、この楽曲を聴いてみてください。そこにあなた自身の「あなた」と「わたし」を見つけることができるかもしれません。


楽曲情報

  • 曲名:LENS FLARE
  • アーティスト:米津玄師
  • 作詞:米津玄師
  • 作曲:米津玄師
  • リリース日:2024年8月21日
  • 収録作品:6thアルバム「LOST CORNER」